バティックの制作地とその特徴

バティックは、王宮を中心としてジャワ文化の伝統工芸として発達した中部ジャワバティックと、ジャワ島北海岸の港町中心にその交易品として作られてきた北岸系バティックに分けられます。前者の制作地は、ジョクジャカルタ、スラカルタ、後者は、チルボン、プカロンガン、ラスム、マドラ島、ガルット、インドラマユ、ジャンビなどがあります。


ジョクジャカルタ(ヨグヤカルタ)

16世紀後半に注目されたイスラム・ マタラム王国の宮廷文化が深く根付いています。17世紀、スルタン・アグン王の代に最盛期を迎え、その時に生まれたとされる模様のいわれや着装の決まりが残り、宮廷内の儀式には身分を表すバティックを用い、王族、貴族以外には着用を禁じた模様もありました。この禁制模様は、斜め柄の幾何学模様、七宝柄、ジャワ文化の世界観をあらわしたスメン模様などであり、その色彩は、ソガ染料(植物染料で茶褐色) と藍を使い、茶と紺にします。中部ジャワのバティックは特にカイン(布)ソガと呼ばれます。ジョクジャカルタでは、白地の部分をはっきり際立たせるのが特徴です。


スラカルタ(通称ソロ)

ジョクジャカルタ王国と18世紀半ばに分かれ、スラカルタ様式の文化が確立されます。バティックは王領内で制作されていましたが、19世紀にはジャワ人による大工房ができ、大衆向けのチャップ(型押し)バティックの制作がされバティック長者が出現します。彼らは自家用には手間暇を惜しまない、丁寧で洒落たバティックを作りました。そのバティックは、カイン・ソガですので茶と紺の二色ですが、卓越した蝋描きの技法で多色に劣らない色の広がりを表現しています。模様は伝統の幾何学柄が多いですが、蝶、動物、人物、扇、ラケットなど新しいものを 積極的に取り入れ、遊び心があります。


チルボン

西部ジャワと中部ジャワの境にある港町です。16世紀に建国されたチルボン王国の王都で、東西交通の要所、文化の交流地として栄えました。その王の元に中国の王妃が嫁ぎ数多くの美術工芸品をもたらしたとされます。そのため中国文化の影響が色濃く、代表とされるメガ模様は、中国の繧繝模様です。また、この宮廷内外の情景や文物を題材とした模様(ワダサン)があり、木彫りやバティックに取り入れられています。蝋伏せに特徴があり、細かい線を「堰き出し」技法で染め出し、無地の部分に色が入らないことが上質と されます。


プカロンガン

北岸系バティックの代表地とされています。その多彩な花柄のバティックは、ヨーロッパ系工房が絵葉書、陶器、壁紙などのデザインをアレンジして制作され始めたもので、中には西洋の童話が題材にされるなどと、バティック模様に新しい風を入れ模様の構成も変 わりました。ヨーロッパ系工房は第二次大戦後なくなりますが、その後は中国系工房に受け継がれ作り続けられます。アラブ系、インドネシア系工房も多く、他の地域に比べてはるかに明るい多彩のバティックを制作し、国内はもとより、海外にも大量に輸出されています。また、精緻を極めた高価な布から、素朴な安価な布まで幅広くあります。


ラスム

小さな港町ですが、中国本土より移住した人々の拠点で商業が盛んでした。そのため、中国系住民が多く、典型的な中国人家屋が白い壁に囲まれて残っています。現在では、バティックはほとんど制作されていませんが、20世紀半ばまでは、ジャワ島、スマトラ島、スラウェシ島で「ラスムアン」として好まれ多くの工房がありました。中部ジャワ系の幾何学模様と中国系の動植物をアレンジし、赤、青、黄、緑、茶、紫といった色彩を重ねていきます。


マドラ島

マドラ島は、ジャワ島西部の町よりフェリーに乗って約30分です「乾いた土地」といわれ農地には向かないため、人々はタバコや船による交易で生計をたてています。島の中で一番手の良いバティックを作る村は、船乗りが多く、夫が1〜2ヵ月という航海に出てしまったその留守を守る妻達が、生活の糧として、また心のよりどころとしてバティックを作り始めたとされています。バティックは典型的な北岸系バティックの色彩、技法ですが、模様は身近な植物、海産物のアレンジが多くなっています。


ガルット

西部ジャワの山間に位置し、近郊には温泉の湧き出る観光地があり、涼しく絹織物の産地として知られています。バティックは中部ジャワ系と北岸系の中間のように、ここでしか見られないアレンジがあります。模様は、中部ジャワの伝統柄がほとんどですが、すっきりとした印象で伝統柄をより単純化し、細かい地紋を入れず地色を生かしています。


スマトラ島 ジャンビ

スマトラ島の東南部にあり、16世紀から20世紀初頭まではジャンビ王国の王都で、胡椒の出荷地として栄え、重要な港湾都市でした。そこで、模様や色彩がスマトラ市場向けのバティックが、ジャワ島で制作され大量に送られます。それに携わった人々が移住し、作り始めたとされています。ジャワ島で好まれているバティックと異なり、蝋描きは粗く、赤と濃紺のコントラストが際立っています。スマギ(インドネシア向けインド更紗)をもとにした模様も多く、日本の茶会で好まれた「おこげ」と呼ばれる模様もこのバティックです。




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